諏訪 敦彦映画監督 × 杉原賢彦映画批評家
メディア・アートって、いったいなんなのだろう?
既存の映像作品となにが違っているんだろう?
そこからなにか新しいことは生まれてくるんだろうか……。
ディジタル時代に突入したというのに、
まだぼくたちはその全貌どころかプロフィールさえも知らずにいる。
それなら誰かに訊いてみよう。
おっ、この人なら……と思って白羽の矢を立てたのが、
ちょうどいま『ユキとニナ』が全国公開中の諏訪敦彦監督だった。
東京造形大学学長にして映画作家、ふたつの貌をもつ諏訪監督なら、
なにかヒントをもらえるかもしれない。
映画の『ユキとニナ』のプロモーション、ベルリン映画祭参加、
しかも新学期に向けての会議漬け……
忙しいなか、時間を割いていただいた。
─諏訪さんは映画監督としてもうすでに何本も映画を撮られてきているわけですが、『ユキとニナ』で子どもの世界を撮られたというのは、どんな経緯からだったんでしょう?
「手つかずな、大きな他者としての存在が子どもだったんです。大人というのは、なんだかんだで共犯関係を結んでなんらかのモノをつくってゆくわけですが、子どもとはそうはいかない。共通の言語をもっていないかもしれない。けれど、〈男女〉の関係について前の『不完全なふたり』でやって、次に向かうべきものとして〈子ども〉という存在が出てきた。教育とかかわったのも、無関係ではない気もしてますし、自分自身の子どもとの関係とも無関係じゃないと思う。自分にとっての映画というのは、自身の人生とか成長にしたがって立ち向かってゆく問題も変化してゆくわけですが、そういうものがずっと主題になってきた。『ユキとニナ』は、子どもと、子どもを育てる親という存在はいったいなんなんだということを、映画を通して考えてみようとしたわけです。生きることとものをつくることは、どこかでリンクしていると思うんです」
─東京造形大で教えてらっしゃるわけですが、学生たちについてはどう見てられますでしょうか? 彼らもまた、かなりな程度、他者だと思うんですが(笑)。
「学生たちとの関係においても、生きることとものをつくること、あるいは表現するということをどうリンクさせてゆくかが問題だと思ってます。フィクションというのは、もしもこうだったらどうなるだろう……というのを試行してみられる場でもあるわけで、重要なのは、結果ではなくてプロセスだとだんだん思うようになってきた。成果物としての作品がよかったとかよくないという評価ではなく、映画をつくるプロセスをどう自分たちの人生に生かしてゆけるか。それが、いま、より大事になってきている気がしているんです。美術の世界においても同様なんじゃないでしょうか。作品と作者という関係が問い直されつつある。作品は作者において完結しているのではなくて、プロセスこそが大切であり、アーティストは現実にどのように介入するか、メディウム的な存在意義が注目されている。作品という成果物ではなく、行為そのものがアートだというふうに考えられ始めていると思うんです」
─いまやディジタル時代に突入しているわけですが、ディジタルとアートの関係ということでいくと、そこになにか変化を感じてらっしゃいますか?
「コストの問題というのは大きいと思いますね。映画が如実にそうですが、テクノロジーと資本をもっている側のものであった。ディジタル・テクノロジーによってその構造が壊され、いままで一方向からしか世界が見られなかったのが、リヴァース・アングルからも見ることが可能になった。つまり、映画もアートも、より生活に密着したものになってきたと言えるんではないでしょうか。映画やアートを、どう〈使う〉かということが問題だと思っているんですが、ディジタル時代になって、つくり手としてはやりやすくなった。ところが、それを受けとめる社会の側がそうはならなくて、むしろ逆行しているような感じを受ける。そこが問題なところです」
─メディア・アートはそこに風穴を開けられる可能性を秘めている?!
「一方でアートもまた、マーケットとか業界といったもののなかに閉じ込められている。映画も同じですね。一概にメディア・アートと呼ばれているものも、そうした現状に穴をつように登場したのかもしれないけれど、アートと呼ばれる以上、そのなかに回収されてしまうというジレンマを抱えているように思うんです。それがなんとかならないものなのかと思いますね」
─そこに教育はなんらか関与できるものか、あるいは教育が為すべきものっていうのは、そこにあるんでしょうか?
「もっとも悩ましいのは、文科省も中央教育審議会も、大学に対して具体的な成果を出せ、と迫ってくることです。アートにかかわっている以上、具体的な成果など出ない。大学自体も本質的にそうですね。世の中と同じサイクルでないところで、未来の価値をつくり出してゆく場と自由が保証されていなければ、大学のコンセプトそのものが消えてしまう。それはアートの創造というのも同じですね。でも、目の前の学生に対して、それをやりながらどうやって生きてゆくかを問うことも、非常に大きな問題として残る。就職するための支援もするけれども、それは本質的な問題ではないわけです。問題なのは、アートという行為を通して生き方を見つけることだと思うんです」
お話をうかがってゆくうち、〈メディア・アート〉を超えて〈アート〉というものの根源へと降りてきてしまった。果たして、少しは問題点らしきものが浮き彫りになってきただろうか。それとも混迷(社会の?)を深めてしまっただろうか。映画とアートと教育とを、ほんの少し考えてもらえるきっかけにできればいいのだが……。
諏訪敦彦(すわ・のぶひろ)
1960年5月28日広島県生まれ。映画監督、東京造形大学学長。東京造形大学在学中よりインディペンデント映画の制作を始め、『はなされるGANG』がぴあフィルムフェスティバルに入選。卒業後が石井聰瓦監督、山本政志監督らにつき、’96年、『2/デュオ』で長編デビュー。’99年の第2作『M/OTHER』がカンヌ映画祭で国際批評家連盟賞を受けるなど高い評価を得る。『二十四時間の情事』を自由にリメイクした『H Story』(’01年)を経て、’05年にはフランスで『不完全なふたり』を撮り話題となる。そして’09年、フランスと日本にまたがって子どもの世界を描いた『ユキとニナ』を発表。また、’08年により母校、東京造形大学の学長に就任。